LAMU の考察 Blog『すずめの戸締まり』

新海誠監督作『すずめの戸締まり』の関連情報の紹介と、本編の考察を綴る LAMU 最後のブログ

🌌 新海作品 レビュー② 君の名は。 (2016) ⛩️

2022年10月28日(金) に日本テレビ系「金曜ロードショー」で、『君の名は。』が本編ノーカットで放送されますね。
 
       大鳥居と夜桜と流れ星
 
当方の処女ブログ「 LAMU の考察交流ブログ『君の名は。』(2022年10月4日閉鎖)」の全60篇の記事のうち、注目記事リストで不動の上位3つ + α (2022年8月26日時点) の記事を再構成してみました。


主題歌 ♪ 夢灯籠 Dream lantern に関する一考察

 ここから「♪ 夢灯籠 Dream lantern 」日本語版と英語版を続けて視聴しながら、お読みください !! 💁
 
    

 作詞・作曲を担当した RADWIMPS と、原作者の新海誠監督が、入念な打ち合わせは勿論のこと、時に激しい葛藤を互いに抱えぶつけ合ったり、譲歩したり擦り合わせたりした過程があったことは皆さんも知るところだと思います。

 野田洋次郎さんを始めとする RAD の面々も楽曲の打ち合わせを巡って心が挫けそうになったり、はたまた頭の中がカオスになったり、一方の新海誠監督を始めとする作画の制作陣も、出来上がった曲の長さに合わせて急遽尺を延長してカット数を増やしたり、一度アフレコで撮った音声を削ってまでストリングスを観客に聴かせることを優先するなど、双方が一切の妥協を許さない限界ぎりぎりの境地で、共闘して創り上げてきた背景を意識しながら、考察していきましょう。
  

 コミカルさやシリアス感で緩急をつけ、視聴する観客を飽きさせない仕掛けや工夫をふんだんに織り込んだ映画『君の名は。』は、観客動員数が 1,900万人以上、興行収入は 250億円を超え、国内邦画ランキングでは『劇場版 鬼滅の刃;無限列車編』『千と千尋の神隠し』に続くトップ3位に位置しております (2022年5月時点)。上位ランクを独占していた宮崎アニメ作品に割り入る形で、結果を残した名作『君の名は。』。その根強い人気ぶりを決定付ける要素として、主題歌4曲の存在を欠くことはできません。
 

 前置きが長くなりましたが、早速オープニングで採用された「♪ 夢灯籠」の考察に入りましょう。このタイトルに、私は最初「?」となりましたね。夢に灯籠って何じゃそりゃ?って。他のブログでも同じような感覚を持たれた方がいたので、ホッとしましたが。映画本編を観る前は「ちんぷんかんぷん」なタイトル・歌詞だと思われても仕方ないくらい、比喩表現なりレトリック等々が使われているため、映画本編を知り尽くした (?) 今ならば、あっ! そういう意味か! と、ようやく合点が行く始末です。

君の名は。』でいう夢とは「入れ替わり」現象を指しますよね。と同時に普通に「夢=憧れ、希望、生きる目的」と捉えることもできるでしょう。そして灯籠といえば、神社で見かける灯籠をまず思い浮かべるのではないでしょうか (本作は宮水神社にまつわる物語でもありますし)。英語訳で、灯籠は lantern 、アウトドア用品のランタンですね。日本では灯籠流しという鎮魂行事もありますから、単に暗い中を灯す明かりというより、人や魂を導く灯火と捉えるほうがしっくり来ます。

 

 ちなみに灯籠流しは「精霊流し」とも呼ばれ、精霊は灯籠に乗って川を下り、海の向こうにあるあの世へ帰っていくといわれています。そもそもは川施餓鬼と呼ばれる、水害でなくなった故人の霊を弔うための供養から始まったとも言われており、亡者の霊が道に迷わないよう、足元を照らしてあげるという意味が込められているようです。思えば、まさに死んで消えてしまいそうなヒロインの三葉を、隠り世で迷子にさせず現世の時空間に導けたのは、瀧が灯籠の如く道をしっかり照らしてあげたからと考えることもできますね。

 すなわち「夢灯籠」とは、瀧と三葉の入れ替わり現象終了後から、二人が「現実世界ではじめて」出会う (須賀神社階段でのラストシーン) までの行程、あるいは二人が互いを探し求めた感情の軌跡、美しくもがき貫いた足跡という意味合いが込められているのかなと、私はこのタイトルから感じました。この解釈なら、本編冒頭で二人が掛け合うモノローグとも強い親和性があり納得がいきます。
 

 ここからは歌詞の意味や背景を、英訳を交えて検証していきます。

 ♪あぁ このまま僕たちの声が
 世界の端っこまで消えることなく
 届いたりしたらいいのにな

 Ah, if only our voices speak at night
 could ever reach the very edge
 of this world, and the time
 Instead of fading into air and dust

 きっと、あのカタワレ時、御神体山の稜線上で、2013年の三葉と 2016年の瀧の時空間が結節した幻のシーンでの様子を意識した歌詞なのでしょう。高校生同士の瀧と三葉が、初めて顔を向き合わせて話したとき、自ずと瀧の心に込み上げてきた正直な想いをそのまま歌詞にしたと思われます。また英訳では at night ですが、twilight の意味合いに近い夜だったと推測します。ここでいう「世界」は「現世の時空間」を表す this world, and the time という英訳が採用されていますね。邂逅時に話した会話や互いに伝えたかった想いが、(ムスビの秩序によって)記憶から完全に消されることなく、現世に生きるなかで (潜在意識か霊魂の)どこか the very edge にまで届き、何者にも邪魔されず保管されていたら良いのに ... という風に私は解釈いたしました。
 

 ♪そしたらねぇ 二人で
 どんな言葉を放とう
 消えることない約束を
 二人で「せーの」で 言おう

 Then what will the words could ever be?
 farthest words from 'probably'
 Let's make a promise, that will never fade
 Let's say it together in count of three, oh

 もしもそんなことがかなうなら、たった一つだけ記憶から消されない言葉をムスビの秩序が許すというなら、自分(瀧) と三葉はどんな言葉を放とうか。そうだ!「 'probably' =たぶん」とか、そんな曖昧な意味で片付くような言葉じゃダメだ! 絶対にゆるぐことがない誓いのような言葉がいい! 三葉、もうわかるだろ? 俺はお前が「好きだ !!!」お前はどうなんだ? なぁ、一緒に「せーの」で言おうぜ ┅┅ 。しかし、瀧はそれを口にせず、三葉の手のひらに書き記しました。しかもその方法が最善だったのでしょう。手掌面にペン書きされたくすぐったい触覚のほうが、耳から入る聴覚よりも (三葉の)記憶の隅に残ったと解釈しました。三葉の書く番は失われたけど、それも深い演出の一つなんでしょうね。

 

 ♪あぁ「願ったらなにがしかが叶う」
 その言葉の眼をもう見れなくなったのは
 一体いつからだろうか
 なにゆえだろうか

 Ah, I'm told that some part of every wish
 will be heard
 But lately I lost sight of the truth
 in those words
 I can't even remember
 when I gave up believing
 What could have been the reason?

 この歌詞以降はきっと、三葉の姿が忽然と目の前から消えてカタワレ時の邂逅が終わり、加速度的に三葉の名前や出逢った記憶、さまざまな感情、飛騨の探訪旅の目的すらも消え失せていくなか、瀧の意識を5年半近くも縛り続ける「魂の叫び、寂しさ」のような強い想いを、疑問形のフレーズで歌詞に興したのでしょう。「言葉の眼= sight of the truth in those words 」つまり、その言葉に込められた真実を観る心すら失った今、つい癖で、自分の右掌をじっと見てしまう瀧と三葉。朝、目が覚めるとなぜか泣いている。そういうことが時々ある。見ていたはずの夢は、いつも思い出せない。ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも長く残る。「ずっと何かを、誰かを探している」という感覚だけを残して、東京でそれぞれの生活をしていた二人。四谷須賀神社で出逢った後、ある程度の時間が経過してからの回顧録をどうぞ!
 

瀧】一体、あんな想いを抱くようになったのって、いつ頃からなんだろう? 
 
三葉】そうねぇ、私が瀧くんが言ってるような気分になり始めたのって、たぶんあの頃から。あの日、星が降った日 ┅、ううん、厳密に言うとね、瀧くんが私に逢いに来てくれた気がするときからやと、私は思うんやさ。ほら、御神体山の上で、たしかカタワレ時やったんやよ。瀧くん、覚えて ┅ ない?

瀧】?? うーん ┅ わかんねぇな。でもさぁ、取りつかれたって言えるぐらいの不思議な感覚なら今でも思い出せるよ。俺なんかあの頃さ、毎日ってぐらいそうだったんだ。ただ普通に生活してるだけなのに、なんだか無性にやるせなかったんだよなぁ。ホント、どうしてかなぁ? 

三葉】そりゃ瀧くんが、神聖な隠り世(=御神体の祠) に立ち入ってさ、挙げ句に奉納用の私の口噛み酒を飲んだもんやから ┅。ホント私、恥ずかしかったんやからね! うむむ ┅ ホント、瀧くんって変態なんやからっ!? その引き換えに君は、ムスビの神様から「記憶」を取り去られたんやよ。もしも瀧くんが身体や精神、霊魂を引き換えに取られてたら、それこそ私、二度と瀧くんに逢えなくなってたんやからね! そうなったら私、ホントの本当に、死んでしまうから!(泣) 

瀧】┅┅ って、俺がそうする前にすでに死んでたじゃんか。まぁでも、あのときはああするしかなかったわけよ、うん! うーん?! はっ! おい三葉 ┅┅ どうしてそんなことを知ってんだよ? あれ?! 何か、今までずっと引っかかっていたことを思い出しそうな ┅、謎が解けそうな気がする ┅。あっ、あ~ !!! 三葉、俺はお前に逢いに行ったんだ! そうだ、俺はお前をずっと探し続けてきたんだよ! 三葉、三葉 ~!

三葉】(泣) ┅ くん。┅ たきくん、瀧くん! 私も瀧くんのこと、ずっとずっとずっと前から探してたんやと最近わかったの。私、瀧くんが大好きなんよ。

 はいはい。「愛する人との記憶」を取り去られることも非常に残酷なことですね。記憶に変わる感覚が片鱗でも残った二人だったから、なおのこと切ないわけです。ちなみに上の回顧録は私の勝手な妄想で、かなり強引な展開でした (笑)。
 

 ♪あぁ 雨の止むまさにその切れ間と
 虹の出発点 終点と
 この命果てる場所に何かがあるって
 いつも言い張っていた

 Ah, the very moment that the rain will stop
 And the place rainbow born and dies
 And where the end of this life lies
 I’ve always been insisting there was
 something
 that I've longing for

「雨」や「虹」など、新海誠ワールドの情景をありありと連想させる言葉が続くなか、一際インパクトがある「この命果てる場所」という歌詞で、本作を観た人ならばピーンと来るでしょうか。本編の後半で明らかになる驚愕の事実と、瀧が命を懸けてまで行ったあの場所「御神体の祠=隠り世」です。また " the place rainbow born and dies " の英訳表現が素敵ですね。虹そのものに「生命感」があり、美しくもはかないイメージを掴みやすい表現かと思います。
 

 ♪いつか行こう 全生命も未到 未開拓の
 感情にハイタッチして 時間にキスを

 One day we'll reach to emotions
 unexplored unprecedented
 We'll high-five love we've yet to discover
 and give a kiss to time

 御神体山の稜線は、上(↑) の回顧録でも出てきた瀧と三葉がたどり着く場所でしたよね。そこはそれまで、どんな生命もたどり着いたことがない、まさに未開拓の場所。そんな場所で二人は出逢います。高校生同士の瀧と三葉が、初めて自分自身の身体で互いに顔を向き合わせ、話せたときの弾ける喜び、穏やかな安堵感、込み上げてくる愛おしさ、言葉に表すにはもったいないくらいに溢れるさまざまな感情で give a kiss to time 、奇跡を起こしてくれたカタワレ時に感謝のキスを捧げたい、そんな感極まる心情を歌詞にしたためたんだと、私は思います。
 

 ♪5次元にからかわれて
 それでも君をみるよ
 また「はじめまして」の合図を 決めよう
 君の名を 今追いかけるよ

 The five dimensions keep on teasing me
 But I will keep on looking at you, dear
 Let's make a sign for
 when we say "nice to meet you" again
 I'm on my way to you,
 chasing after your name

「5次元」とは、空間と時間で構成される4次元に、時間軸が無数にある、つまり今とは違う結末を辿る時間軸がある並行世界が加わった次元です。本作を観た人なら「並行世界」と聞いてその意味がピンとくるのではないでしょうか。引き離されても「俺が必ず、もう一度お前に逢いに行く」という底知れぬ決意が、この歌詞からにじみ出ています。そしてこの曲の最後「君の名を 今追いかけるよ」の歌詞は、映画本編のラストシーンにもつながるキーフレーズですね。
 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。OP の「♪ 夢灯籠 」の考察を終えて LAMU が感じていることは、RADWIMPS が描く主題歌を考察するという行為自体が、映画本編の考察とは異次元なほど違うものであり、考察が実に難解であるということです。先人の考察ブログを複数読みあさり、自分が抱いているイメージに近い解釈を探し当てては自ら反芻し、時に解説の表現を一部引用させて頂いたりした次第です。RADWIMPS というバンドの個性を周知していないと、その世界観に思考が及ばないという壁=ジレンマをこの度感じたわけです。
 


画像出典 Twitter 関岡 大晃さん
    https://twitter.com/hirography_321
     映画.com フォトギャラリー
     m.imgur.com 他
動画出典 K2SMOH42
引用ブログ ここからはじまるエンパーク 他
    【https://en-park.net/words/2146


三葉と四葉の母∶宮水二葉の生涯に関する一考察

 さて次は、三葉と四葉の母∶宮水二葉の生涯について考察していきます。映画本編では瀧の口噛み酒トリップによる回想シーンで登場しましたね。神がかった人物として外伝小説『アナザーサイド アースバウンド』第四話では描かれている人物でもあります。しかし伴侶の宮水俊樹からすれば、彼女はごく普通の一般女性であって、二人の娘の母親でもある。宮水の血筋に従い神に仕えてきた最愛の妻∶二葉を突然の難病で失った俊樹は、彼女の人間性をがんじがらめに縛り上げ、人生や生命さえも狂わせた災厄=宮水神社の信仰体系そのものに憎しみを燃やしました。そして自らも従事していた神職をかなぐり捨てて家を出ていきます。二葉の母∶宮水一葉との対立は絶縁に至り、家庭は崩壊。この根深い意識の乖離は娘二人の成長にも大きな影響を与えました。俊樹のなかで、宮水神社を崇拝する集落住民への反目を引き起こした間接的な要因、宮水二葉の人生を紐解いていきましょう。
 

※ 主題歌 ♪ スパークル ♫ を BGM に流しながら、ゆったりした気分で読んでくださいね。

 

 1970年代の初め頃、岐阜県奥飛騨の糸守町にある宮水神社の宮司∶一葉の一人娘として生を受けた宮水二葉は、前宮司だった父親を早くに亡くし、その後は母親の一葉と価値観の大きな相違をもつことなく、ずっと二人きりで神社の神事・伝統を守ってきました。高校までの学業を修め、卒業後は巫女として神職に従事し、一葉の口から「二葉は私よりも誰よりも宮水よ」と言わしめる程の、特殊な才気のひらめきをすでに放っていたのです。その一つの逸話として、糸守の住民は事あるごとに、高校生 (卒業間近?) の二葉にさまざまな悩みや相談を持ちかけ、実に適切な助言で彼女は返答してきたというのです。その意見はきわめて高く尊敬され、町のご意見番としての評判はたちまち町内に浸透していきました。なかには、宮水二葉を信仰対象そのもののように崇める年配者まで出てきた程だったそうです。
 

 ではここから、私の持論を述べていきます。私の、とは申し上げましたが、今から紹介する仮説は、そのプロットに気づかれた他の方々が (早い方は 2016年の暮れ頃に)、自身のブログで紹介された内容でもあります。私 LAMU は先月の半ば、無料漫画サイトで連載中の『君の名は。アナザーサイドアースバウンド』を読んでいた折、ふと気がついた仮説ということになります。この気づきをきっかけに、コメント欄を介した考察の輪が3名規模で生まれ、あれやこれやの経緯を経て、当考察ブログが誕生したのです (ねっ!TM君、ぱるるさん!)。それだけに特に思い入れが深い考察テーマでもありますね。で、私事の説明はここまでにしまして (引っ張り過ぎやよ ┅)、そのテーマの仮説とは「宮水俊樹と二葉の入れ替わりが、彗星落下後に起こったのではないか」というものです。

 女子高校生の宮水二葉(18) と糸守町長の宮水俊樹(54歳以降) が、彗星災害のあとに入れ替わることによって、二葉は彗星災害後の糸守の惨状と、自身の生涯・使命を事前に悟ることとなり、それによって存命中に本分を尽くしたというシナリオが成り立つわけです。民俗学の知識や町の情報、地方行政に関わる相談を持ちかけられても、町長時代の俊樹と入れ替わった二葉ならば、彼女らしい優しさとユーモアを交えつつ適切な助言を与えることができ、たとえ一女子高校生であるとはいえ、集落住民からの信望はますます厚くなるというわけなんです。しかし! そのことが、後々夫となる宮水俊樹の心を蝕んでいく原因となるのです。
 

 一方の宮水俊樹サイドに、視点を替えてみましょう。二葉の死後、憎しみと復讐の念にかられ近代政治の力で宮水神社の影響力を無きものにすると心に誓った俊樹でしたが、まさかのまさか! ティアマト彗星が二つに割れ、その片割れが糸守に落ち、集落の約半分が瞬時に壊滅・水没してしまったわけです。文字通り、宮水神社の実体そのものが目の前から消え失せてしまったのです。瀧による口噛み酒トリップ以前の世界線では、あの宮水一葉も、娘の三葉と四葉も、犠牲者 500有余名の中に含まれ、ひとときの幸せな時間を共に過ごした糸守の家族全員が、俊樹の目の前で亡くなってしまうわけなのです。これほどにまで残酷な人生の展開ってあるでしょうか? 自分なら自ら死を選んでしまうかもと、つい感情移入してしまう場面ですが、その瀬戸際の境地で最愛の二葉が最期に遺した一つのメッセージが、宮水俊樹の心を、魂を、次第に救い上げていくのです。そのメッセージが《これがお別れではないから》
 

  愛し方さえも 君の匂いがした
  歩き方さえも その笑い声がした
  いつか消えてなくなる 
  君のすべてを
  この眼に焼き付けておくことは
  もう権利なんかじゃない
  義務だと思うんだ
  運命だとか未来とかって
  言葉がどれだけ手を 
  伸ばそうと届かない
  場所で僕ら恋をする
  時計の針も二人を 
  横目に見ながら進む  
  こんな世界を二人で 一生
  いや、何章でも 
  生き抜いていこう

  

 上記、RADWIMPS「♪ スパークル 」のフレーズのなかに、まさに彗星災害後の俊樹と (高校生の)二葉が入れ替わり現象を通じて、再会を果たす様子が描かれています (私はそう確信しています)。まだ初々しさを宿す若かりし頃の妻∶二葉の懐かしい匂い、笑い声、歩き方すらも、そのすべてが愛しい。やがて病に臥す君を、逝ってしまう君を、再び出会えた君の身体のなかで僕は記憶するんだ、焼き付けておくんだ、それが僕に許された義務なのだから、と。

 

 この入れ替わりによって、俊樹は《これがお別れではないから》の真意を経験することになるのです。そして、娘の三葉と瀧の働きによって、彗星災害前の再演 (=2013年10月4日のリトライ) が起こります。瀧(身体は三葉) による俊樹への避難指示要請の後、俊樹の表層意識を支配する常識は、その脳と心臓を撃ち抜くほどの衝撃によって震える怖気に砕かれ、時間とともに減衰していく恐怖の向こうから、理解という形ですべてのイメージが映し出されます。やがて日が暮れ、非常灯で照らされた町長室に走り込んできた娘∶三葉本人によって、それらのイメージは有機的に結合し「今、自分が、町長の立場で、ここにいるということが、定められたひとつの導きだというのか」と6年もの間固く閉ざしてきた俊樹の心の錠は、ついに開かれるのです。

《この世のすべては
   あるべきところにおさまるんやよ》

 そうか。自分は意味があってここにいる! 愛しい二葉の面影を残す娘の顔を見つめながら、俊樹は、お告げのようだ、と一時期そう感じた二葉の言葉を、改めて、その意味をぐっと噛みしめるのです。
   

 こうして、俊樹が避難指示を全町民に発令した結果、犠牲者を一人も出さず、失われていたはずの 500名近い生命は救われました。しかし同時に、糸守町は財産や景観を失いました。住む家も家財も町並みも、実に多くのものを一度に失いました。それは死を免れた全住民が共有する激しい痛み、辛い現実。この惨状を前にして、入れ替わり現象が始まった二葉と俊樹は、集落の痛みを丁寧に慰め、同時に実利ある集落復興の事業を推し進めていくのです。それは前回の考察で触れた縦糸と横糸の関係のように。宮水神社再建による「求心的な縦の関係」の回復と、俊樹町長が先導する「互恵的な横の関係」の履行によって。それはあたかも綺麗な配列をなして編み込まれた織物のように。一人ひとりがそれぞれの役割を日々果たす「行為の持続」を神への信仰として捉え、かつその在り方を復興への希望としながら、互恵的な近現代の統治機構と深く絡み合って、糸守町は再生していくのだと、私は思います。その輪に、瀧やテッシーたちの世代も加わりながら。
 


参考文献 加納新太著 外伝小説 第四話
画像出典 加納新太著 外伝小説 他
動画出典 RADWIMPS      


《語り場掲示板》宮水二葉の生涯に関する一考察 (TMさん版)

 今回は「マイ考察 (= LAMU の考察) 」ではなく、「語り場掲示板 (=本ブログの読者の方) の考察」を皆さんに紹介させて頂きたくアップしました。これは本ブログでは初の試み! コメント欄にオリジナルの考察を投稿してくださった「 TM (id:TMtmkun) さん」の記事を、ご本人承諾のもと、改編しております。題して「語り場掲示板」《特別編》『宮水二葉の生涯に関する考察 (TMさん版) 』です。では、お楽しみください。

※ 主題歌 ♪ スパークル ♫ のピアノの調べを BGM に流しながら、読み進めてください。

 

 まず、若かりし頃の宮水二葉が、糸守集落で「町のご意見番」として住民に慕われ始めた時期は「高校を卒業するかしないかの頃」(外伝小説 p,237) とあります。つまりこの頃に、町長時代の宮水俊樹と入れ替わる現象が生じていたと推測されます。また卒業という時期を考えると、制作者側は入れ替わった状態の二葉と高校の同級生とを接触させたくなかったとも思われます。ただし、二葉と同級生との接触を想像する読者にも配慮して「卒業するかしないかの頃」というふうに、曖昧な表現にしたのではないかと思います。

 次に、RADWIMPSの「♪ スパークル 」の歌詞のなかで「電車に揺られ運ばれる朝に」とありますが、このフレーズは二葉が俊樹に逢いに行っている旅の表現だと考えます。その理由が二つあります。まず一つ目は「♪ スパークル」の MV「電車に … 」が流れているタイミングの画が、三葉が瀧に逢いに行っている映像でしたので、二葉も俊樹に逢いに行っているのではないかと思うわけなのです。そして二つ目が、二葉の髪型です! 実母の一葉と娘の三葉は髪を組紐で結っているのに、二葉本人だけ特に髪を結わずロングヘアーでしたよね? 私はこれを「俊樹に逢いに行った際、俊樹に組紐を渡したから」と考えたのです。二葉が幼少期の三葉にあの髪型の結い方を教えたのなら (監督著小説 p,21)、二葉自身もあの髪型をしていたことは、容易に想像がつきます。
   

 そして、二葉の高校時代について、私は糸守高校出身だと考えます。二葉と三葉の違いは「家業への不満度」と「友達の多さ」だと思うので、三葉が気に揉んでいた高校生活の負の部分を二葉はあまり感じていなかったのではないでしょうか。二葉は同級生であろうと誰にでも分け隔てなく丁寧に接し、宮水のお嬢さんということで、少し尊敬もされて (周囲から浮いては) いたんだろうと思います。俊樹も「友達はいくらでもいただろう」(外伝小説 p,238) と推測していますよね。ですが、本当に心を許せる「親友」はいなかったのではないかとも思います。だからこそ俊樹にすごく甘えるわけでして。「この町に不満は無いし、家業もやりがいがある」と二葉は思っていたでしょう。それでも ┅。「それでも、何か物足りない気がするし、できることなら、糸守の外にある世界を見てみたい」といった彼女なりの閉塞感を抱いていたのではないかと思うわけです。

 二葉の性格なら、おそらく京都に憧れがあったのではないかなと、こじつけながら私は勝手に想像してしまいました。そんな折、京都で暮らす俊樹との入れ替わり現象が起こり、次第に「京都への憧れ」と「俊樹に逢ってみたい」という想いが強まって、彼女をいざ行動へと駆り立てたのでしょう (さすがに入れ替わりの時差には気づいていた? 実は俊樹より京都への憧れの方が強かったのかな(笑))。「東京」と「京都」という二大都市を物語に持ち出してくるあたり、この俊樹と二葉の物語が、映画本編(表設定)と対になる「裏設定」の物語であるという制作者側の意図が垣間見えるような気もします。

  

 さて、糸守町の各世帯に設置されている防災無線について (監督著小説 p,18)、私なりの考察を一つ述べたいと思います。全世帯に防災無線が設置してある自治体って、実際はほとんど見受けられないのではないでしょうか? そんな特異な全世帯設置案が町の議会で自ずと出てくるとは考えにくく、まさにこれは彗星災害を回避するため、誰かが起案したとしか私は思えないのです。そう! 入れ替わり関係の只なかにある、俊樹の意識が入った二葉にしか ┅。

 とは言っても、いきなり町議会で発案したのではなく、まずは地区ごとの寄合などで提案したのだと思います。普段は一葉の付添人のような存在だった二葉が、この件について提起する時ばかりはまるで人が変わったように饒舌に意見を述べ、その姿には一葉だけでなく住民も驚いたことでしょう。その後町議会に呼ばれた二葉(意識は俊樹) は、糸守には土砂崩れが多いこと等を理由に (彗星落下のことなど言えるわけがないので) 議会を説得し、やがて二葉の意見は採用されることになります。この逸話はすぐに糸守住民の間で噂となり、「ワシらのことをよく考えてくれている」と二葉への信頼を募らせた住民たちは、ひとりふたりと自身の悩みを二葉に打ち明けるようになります。こうして、二葉は元々備わっていた「物事に的確に答える能力」を磨いていったのではないかと思っています。

   

 二葉が放つ神がかったオーラについては、それは生まれながらにもっていたものではなく、高校卒業後の入れ替わり現象を通して得たものだと、私は考えます。つまり彼女の高校時代は「神がかりオーラもあって学校のスーパースター」といった存在では決してなく、成績優秀・美人・性格良しの三拍子が揃ってはいるけれども「控えめで地味な存在」だったのではないかと (たぶん三葉と同じように陰ではモテていた。ただ、外部から婿をとることが明らかな以上、アタックする人がいないだけ)。また、入れ替わり現象そのものが「神(ムスビ) の意思によるもの」なので、二葉の中に神が入り込んだ状態になったのではないかと。そしてその神が、病気というかたちで、二葉の生命そのものをこの世から取り去るわけなのです。私は、500人の生命を救うため、神が二葉を犠牲にしたのではないかと思うのです。

 最後に、私が考える「二葉の人生」を年表という形で分かりやすくまとめてみました。

1971年 二葉誕生。もとから「物事に的確に
    答える能力」の原石は持っていたと
    思われる。オーラは生じていない。
1989年 二葉(18)、糸守高校3年生。
1990年3月 高校卒業後、二葉入れ替わり発
      生。俊樹入り二葉が、全世帯に
      防災無線を設置するために奔走。
      その実現をキッカケに住民から
      の相談が舞い込むようになる。
      (神がかったオーラも出るように
      なる) その結果「物事に的確に
      答える能力」に磨きがかかるこ
      とに。京都へ行き、俊樹に組紐
      を渡す(?)。
1994年頃 二葉(23?)、俊樹(35?) 出会う。
1996年 三葉を出産。
2004年 四葉を出産。
2005年 二葉(34) は三葉(9) に里芋の剥き方
    など家事を教え始める。二葉は自身
    の死期を悟っていたため、準備を始
    めていた。
2007年 二葉(36) が病気で亡くなる。俊樹
    (48) は悲しみに暮れ果てる。一葉と
    絶縁、娘達を残して宮水家を出る。
2009年 俊樹(50) 糸守町長に当選する。
2013年 俊樹(54) 町長の指示により500人を
    超える町民が救われる。災害後に、
    二葉(18) と入れ替わり、「これがお
    別れではないから」という、二葉の
    遺言の意味を知ることとなる。

     

 
引用MV  RADWIMPSスパークル
参考文献 新海誠著 小説「君の名は。
     加納新太著 外伝小説 第四話
画像出典 pixivフォト画像 TMC 他
     フォトギャラリー 京都の夏
動画出典 Animenz Piano Sheets
     TMさんのブログはこちら👇
    tmtm.hateblo.jp


瀧と三葉が、東京で邂逅を果たした特別な日

 2022年4月8日(金) は、まさに社会人の瀧と三葉が初めて東京で出逢った日。桜が散り始めた4月初頭、入社したての新社会人:立花 瀧が、併走する通勤電車のドア窓越しで3つ年上の宮水三葉と目が合い、2人の直感が共鳴して、四谷須賀神社の階段で再会する (物語の最後のシーン)、あの日でありますよ。ファンにとっては非常に愛でたい日ですね。
 

※ ♪なんでもないや《オーケストラコンサート》版を BGM に流し、あのクライマックスシーンを回想しながら 👇️ の公式小説をご覧下さい !! 💁

 
 

   ※      ※      ※

 かつてとても強い気持ちで、俺はなにかを決心したことがある。
 帰り道に誰かの窓灯りを見上げながら、コンビニで弁当に手を伸ばしながら、ほどけた靴の紐を結びなおしながら、そんなことをふと思い出す。
 俺はかつて、なにかを決めたのだ。誰かと出逢って、いや、誰かと出逢うために、なにかを決めたのだ。
 顔を洗って鏡を見つめながら、ゴミ出し場にビニール袋を置きながら、ビルの隙間の朝日に目を細めながら、俺はそう考え、苦笑する。
 誰かとかなにかとか、結局なにも分かってねえじゃねえか。
 面接会場の扉を閉めながら、でも、と俺は思う。

 
 
 でも、俺は今ももがいている。大袈裟な言い方をしてしまえば、人生にもがいている。かつて俺が決めたことは、こういうことではなかったか。もがくこと。生きること。息を吸って歩くこと。走ること。食べること。結ぶこと。あたりまえの町の風景に涙をこぼしてしまうように、あたりまえに生きること。
 あとすこしだけでいい、と俺は思う。
 あとすこしでいい。もうすこしだけでいい。
 なにを求めているのかもわからず、でも、俺はなにかを願い続けている。
 あとすこしだけでいい。もうすこしだけでいい。
 

 桜が咲いて散り、長い雨が街を洗い、白い雲が高く湧き上がり、葉が色づき、凍える風が吹く。そしてまた桜が咲く。
 日々は加速していく。
 俺は大学を卒業し、なんとか手にした就職先で働いている。揺れる車から振り落とされないような必死さで、毎日を過ごしている。ほんのすこしずつだけれど、望んだ場所に近づいているように思える時もある。
 朝、目を覚まし、右手をじっと見る。人差し指に、小さな水滴がのっている。ついさっきまでの夢も、目尻を一瞬湿らせた涙も、気づけばもう乾いている。
 あとすこしだけでいいから--、そう思いながら、俺はベッドから降りる。
 

 あとすこしだけでいいから。
 私はそう願いながら、鏡に向かって髪紐を結う。春物のスーツに袖を通す。アパートのドアを開け、目の前に広がる東京の風景をひととき眺める。駅の階段を登り、自動改札をくぐり、混み合った通勤の電車に乗る。人々の頭の向こうに見える小さな青空は、突き抜けるように澄んでいる。

 俺は電車のドアによりかかり、外を見る。ビルの窓にも、車にも、歩道橋にも、人が溢れている。百人が乗った車輌、千人を運ぶ列車、その千本が流れる街。それを眺めながら、あとすこしだけでいいから、と俺は願う。

    

 とつぜんに、私は出逢う。
 窓ガラスを挟んで手が届くほどの距離、併走する電車の中に、あの人が乗っている。私をまっすぐに見て、私と同じように、驚いて目を見開いている。そして私は、ずっと抱いていた願いを知る。

 ほんの一メートルほど先に、彼女がいる。名前も知らない人なのに、彼女だと俺にはわかる。しかしお互いの電車はだんだん離れていく。そして別の電車が俺たちの間に滑り込み、彼女の姿は見えなくなる。
 でも俺は、自分の願いをようやく知る。
 

 あとすこしだけでも、一緒にいたかった。
 もうすこしだけでも、一緒にいたい。


 停車した電車から駆け出し、俺は街を走っている。彼女の姿を探している。彼女も俺を探していると、俺はもう、確信している。
 俺たちはかつて出逢ったことがある。いや、気のせいかもしれない。夢みたいな思い込みかもしれない。前世のような妄想かもしれない。それでも、俺は、俺たちは、もうすこしだけ一緒にいたかったのだ。あとすこしだけでも、一緒にいたいのだ。

 坂道を駆けながら、私は思う。どうして私は走っているのだろう。どうして私は探しているのだろう。その答えも、たぶん、私は知っている。覚えてはいないけれど、私のからだぜんぶがそれを知っている。細い路地を曲がると、すとんと道が切れている。階段だ。そこまで歩き、見下ろすと、彼がいる。
   

 走り出したいのをこらえて、俺はゆっくりと階段を登り始める。花の匂いのする風が吹き、スーツを膨らませる。階段の上には、彼女が立っている。でもその姿を直視することができなくて、俺は目の端で彼女の気配だけをとらえている。その気配が、階段を降り始める。春の大気に、彼女の靴音がそっと差し込まれている。俺の心臓が、肋骨の中で跳ねている。

 私たちは目を伏せたまま近づいていく。彼はなにも言わず、私も何も言えない。そして言えぬまま、私たちはすれ違ってしまう。その瞬間、からだの内側で直接心を掴まれたように、私の全身がぎゅっと苦しくなる。こんなのは間違ってると、私は強くつよく思う。私たちが見知らぬ人同士だなんて、ぜったいに間違っている。宇宙の仕組みとか、命の法則みたいなものに反している。だから、
 

 だから、俺は振り向く。まったく同じ速度で、彼女も俺を見る。東京の街を背負って、瞳をまんまるに見開いて、彼女は階段に立っている。彼女の長い髪が、夕陽みたいな色の紐で結ばれていることに、俺は気づく。全身が、かすかに震える。

 やっと逢えた。やっと出逢えた。このままじゃ泣き出してしまいそう。そう思ったところで、私は自分がもう泣いていることに気付く。私の涙を見て、彼が笑う。私も泣きながら笑う。予感をたっぷり溶かしこんだ春の空気を、思い切り吸い込む。
 

 そして俺たちは、同時に口を開く。

 いっせーのーでとタイミングをとりあう子どもみたいに、私たちは声をそろえる。

----君の、名前は、と。

      

復読のお供に BGM はいかが? ♬

 
   やはりトリ曲は RAD の ♫ 前前前世

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lamu.hateblo.jp


掲載出典 新海誠著 小説 君の名は。
      第八章 p,246 ~ p,252
    ※ 著作権を侵すと判断される場合、
     即時に掲載を消去いたします。 
画像出典 お豆腐の AI あそび
     映画.com フォトギャラリー     
動画出典 Music Vea
     Jemy Matthew
     RADWIMPS
情報出典 Twitter 新海誠監督
     Twitter FallingCometさん


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