はじめに
映画『すずめの戸締まり』が全国で公開されてから早くも2週間が経ちました。前週の休日帯である 20(日) までの興行累積が、動員数 299万人、興行収入 41.5億円を超え、興行ランキングは2週連続で1位だそうで、「新海作品史上のロケットスタート」を切ったとのニュースが SNS 上で散見されますね。勢いは『君の名は。』『天気の子』を上回り、両作品よりも良かった!の感想も多いんだそうです。まぁそれはさておき、いよいよ本ブログでも「ネタバレあり」の考察を始めていきます。本作『すずめの戸締まり』をまだ鑑賞されていない読者の方は、どうか劇場で視聴されてから読まれることを強く推奨いたします。
※ ここからは ♪ サントラ:すずめの戸締まり ♫ を BGM に流しながらお読みください・・・ 💁
今後の「マイ考察」タイトル一覧
考察タイトルは現在のところ、以下の18篇分、投稿頻度は月に1〜2稿で予定しております。もしや考察意欲に火が付けば、当方の処女ブログ「LAMU の考察交流ブログ『君の名は。』」(廃刊) のような毎日投稿ペースになることもなくもなくもなくもなくもなくもなくもない!(笑)
1. 鈴芽はなぜ、初対面の草太を探しに戻ったのか
2. 後ろ戸と要石、ミミズ、常世とは何なのか
3. “ダイジン" 目線の旅路と”サダイジン" 登場の謎
特別編. (ちょこっと気になる一コマの) ミニ考察
①宮崎の立入禁止バリケード看板
②草太が座っていた三本脚イスと「だいじ缶」
③陽菜・帆高が友情出演しない代わりの演出?
④宮崎言葉に染まらず、標準語を話す鈴芽
⑤草太の傷の手当てが熟れていた鈴芽の心得
⑥千果が話す「男の子論」と家族の反応
⑦愛媛に里帰りしていたルミと幼い双子
⑧ダイジンがもたらしたとされる好況の裏側
⑨新幹線乗車中に富士山を2度見過ごす鈴芽
⑩右腕を失っている草太の祖父:羊朗の葛藤
⑫環が田んぼで拾い鈴芽と二人乗りした自転車
⑬鈴芽の母:椿芽と環の二人姉妹が暮らした家
4. 閉じ師という家業と、三本脚イスに姿を変えられた草太の焦燥と気づき
5. 鈴芽とイスの旅《愛媛篇》千果との触れ合いから鈴芽が得たもの、千果が渡したもの
6. 鈴芽とイスの旅《神戸篇》ルミ達との触れ合いから鈴芽が得たもの、ルミが渡したもの
7. 鈴芽とイスの旅《東京篇》芹澤や宗像爺から鈴芽が得たもの、羊朗が託した想い
8. 命がけの戸締まりシーン考察:鈴芽が命を落としかけた神戸の観覧車と東京上空
9. セカイか、愛する人か? 究極の決断シーンから垣間見る鈴芽と帆高の違い
10. 鈴芽と環の旅《東北篇》ドライバー芹澤の気遣いとさり気ない貢献 & 懐メロ挿入歌の一考察
11. 帰還困難区域の小高い丘で言い放った芹澤の一言と、それを耳にした鈴芽の心境とは
12. 姪の鈴芽と叔母の環、二人のココロの距離と変遷 (解放、融和) を紐解く
13. 主題歌考察① ♪ カナタハルカ を深掘る
14. 人と故郷の絆、その幾多の交わりを経験しながら成長していく鈴芽と小すずめの物語を紐解く
15. 主題歌考察② ♫ すずめ feat. 十明 を深掘る
16. 喪失から立ち上がる人たちへのメッセージ & 災害3部作の相違点から日本人に向けられた本作のメッセージとは
17. ジブリ作品のオマージュ要素の検証と、挿し込みカットに込められたメタファーを深掘る
18. 番外編《ミニ創作小説》鈴芽と草太、環と稔のその後 …
今回の考察
読者の皆さん、こんにちは。もう映画館に足を運んで、本作をご覧になられましたか? すでに複数回観たという方も多いのでしょうね。私 LAMU は今月12日に一度鑑賞して以来、今日に至っております。さて本編冒頭の12分の映像は、先月26日地上波で放送された『君の名は。』の終了直後に、自宅のテレビで観ることができましたよね。その12分の中に、今回の考察テーマが含まれています。
本作のヒロイン:岩戸鈴芽(17) は登校途中の下り坂で、後の冒険バディとなる宗像草太(22) と出会う。この寸暇のすれ違いで、鈴芽の脳裏によぎったのは草太の風貌のディテールだった。
-- 男の人だ、たぶん。すらりと背が高く、長い髪と白いロングシャツが風になびいている。私はかすかにブレーキを握り、自転車のスピードをすこし緩める。しだいに近づいてくる。見知らぬ青年 -- 旅行者かな。山登りみたいなリュックを背負っている。日焼けしたジーンズに、大きな歩幅。すこしウェーブした長い髪が、海を眺める横顔を隠している。私はまたすこしだけ、ブレーキを握る手に力を込める。するとふいに海風が強くなる。青年の髪が風に躍り、その目元に光が当たる。私は息を呑む。
「きれい •••••• 」
口が勝手に呟いていた。青年の肌は夏から切り離されたように白く、顔の輪郭は鋭くて優雅。長い睫毛が、すっと切り立った頬に柔らかな影を落としている。左目の下には、“ ここにあるべきなんだ ” という完璧さで小さなほくろがある。そういうディテイルが、どうしても間近で見ているような解像度で私の目に飛び込んでくる。距離が縮まっていく。私はうつむく。私の自転車の車輪の音と、青年の足音が混じり合う。鼓動が高まっていく。五十センチの距離で、私たちはすれ違う。私は、私たちは -- 心が言う。ぜんぶの音がゆっくりになっていく。私たちは、以前、どこかで --。(公式小説 p.14)
私たちは、以前、どこかで・・の描写から、私の頭にすぐさま遡上してきたのが『君の名は。』のラストシーンだった (以下に公式小説より抜粋)。
とつぜんに、私は出逢う。
窓ガラスを挟んで手が届くほどの距離、併走する電車の中に、あの人が乗っている。私をまっすぐに見て、私と同じように、驚いて目を見開いている。そして私は、ずっと抱いていた願いを知る。
ほんの一メートルほど先に、彼女がいる。名前も知らない人なのに、彼女だと俺にはわかる。しかしお互いの電車はだんだん離れていく。そして別の電車が俺たちの間に滑り込み、彼女の姿は見えなくなる。
でも俺は、自分の願いをようやく知る。
あとすこしだけでも、一緒にいたかった。
もうすこしだけでも、一緒にいたい。
停車した電車から駆け出し、俺は街を走っている。彼女の姿を探している。彼女も俺を探していると、俺はもう、確信している。
俺たちはかつて出逢ったことがある。いや、気のせいかもしれない。夢みたいな思い込みかもしれない。前世のような妄想かもしれない。それでも、俺は、俺たちは、もうすこしだけ一緒にいたかったのだ。あとすこしだけでも、一緒にいたいのだ。
坂道を駆けながら、私は思う。どうして私は走っているのだろう。どうして私は探しているのだろう。その答えも、たぶん、私は知っている。覚えてはいないけれど、私のからだぜんぶがそれを知っている。細い路地を曲がると、すとんと道が切れている。階段だ。そこまで歩き、見下ろすと、彼がいる。(公式小説 p.248〜p.250)
三葉と瀧は、かたわれ時に御神体山で遭った記憶を失っていたが、二人の潜在意識というか、あるいは無意識領域を司るアンテナのようなものが互いに働き、お互いの存在を強く意識づけ、実際に出逢うという結末に辿り着くことができた。対する鈴芽と草太の二人も、鈴芽が四歳のときに常世の大草原で出逢っていた。唯一の肉親である母親:岩戸椿芽を東日本大震災で失った幼い鈴芽は、「後ろ戸」と呼ばれる扉を通って現世(この世) から常世(あの世) へと迷い込み、彷徨っていた矢先に 17歳の自分自身と出逢い、彼女から三本脚の椅子を手渡される。そのやり取りの傍らに立っていた人物こそ 22歳の草太だったというわけで。四歳の鈴芽は二人の人物 (鈴芽と草太) を「絵日記」にクレヨンで描き、被災した自宅跡の庭からそれは掘り起こされた。鈴芽は、幼児期から学童期、思春期に至るまでの成長過程で 2011年3月11日宮城県で被災し、母親を失った記憶をトラウマの蓋で抑圧してきたんだと思われる。
👆 にあるマクドナルド:ハッピーセットの付録絵本『すずめといす』を読んでいると、被災後の瓦礫のなかで「おかあさん! ねえ、おかあさん、どこーっ!」と宛もなく捜し回った鈴芽の気持ちや、何日経っても見つからないショックの大きさ・深さが途方もなく辛くて、言葉すら出てこない絶望感と哀しみに無性にやるせなくなるのは私だけだろうか。鈴芽は叔母の環に引き取られて宮城県から宮崎県へ居を移したわけだが、高校生になっても、鈴芽だけ地元の宮崎言葉が出て来ない、イントネーションまで標準語のままなのだ。必ずしも PTSD は時間をかけて心をケアすれば治るものとは言えない。むしろ、治すということ自体、本当は違うのかもしれない。日常生活は普通に送れていても、鈴芽の深層心理にはどうしても拭えないモノがあった。それが「夢で、いつも行く場所」であり、また何度も意識のヒダにひっかかってくる「そういう景色のように、美しい人」の存在だった。
夢で見るその人こそ「私のお母さん」だと思い込んでいた鈴芽は、トラウマによる記憶の抑圧から消えかかっていた『宗像草太』という実在の人とリアルに出会うことができ、真相を知るきっかけを掴むことができた。この出来事から本作のストーリーは始まり、後に同じ坂道で再会することで本作は幕を降ろす。摩訶不思議な体験を共有する草太と冒険に出ることで、鈴芽は自身のコアな部分に真正面から向き合っていく。それはまるでムスビの神による裁定で記憶から消し去られた『片割れの人』と、細い運命の糸で類い寄せられ邂逅が叶った『君の名は。』のラストシーンが、今作の『すずめの戸締まり』では冒頭にやってきたような印象すら覚えるのである。今回の考察テーマ「鈴芽はなぜ、初対面の草太を探しに戻ったのか」の答え、それは「鈴芽が自ら、自身の深層心理の扉を開き、トラウマの蓋を外しに行くため」と今は思っている。この難題に立ち向かう勇気やバイタリティーを、ひたすら各地で走り廻る鈴芽の姿勢から貰える気がした。新海誠監督も自身の気持ちをそのまま鈴芽に投影しているんじゃないかと、感じ取れたりもするわけで。
蛇足ではあるが、もし草太がイケメンじゃなかったら、二人は坂道で素通りしてオワリだったのだろうか (笑)・・? 確かにイケメンだったから、始めは草太の外見にとらわれていた鈴芽だった。しかし草太を探しに廃墟の温泉ホテルに足を踏み入れたとき、薄暗さに怖気を感じながらも「あの、わたしーっ! あなたとーっ! どこかで会ったことがある気がーっ!」と叫び歩いていた。そしてなんだかな、とふい我に返り、これじゃナンパの常套句じゃん!と考え改めたりしていた。私ならこう考える。人それぞれに「イケメン」の定義が異なるんじゃないかと。説明はつかないが、なんか気にかかる人? みたいな存在の人、あなたのそばにいないだろうか? あるいはすでに出会ったことはないだろうか? いやいや、もうすぐそのような人に出逢うのかもしれない。私にとって、妻がそうであると信じてはいるのだが (今のところ;笑)。
さて第1回目の考察記事はいかがだったでしょうか? すでに本作を幾度と鑑賞された方なら、まだまだ考察の掘りが浅いわ! と思われたかもしれませんね。いや確かにその通りです。本編映像に多く散りばめられた巧みなメタファー (紋黄蝶、鍵、靴など) やレトリック、タイムパラドックス、陰陽太極図の思想、日本神話等を紐解くにつれ、眼からウロコが落ちるが如く、ますます味わい深くなってくるのが今作の特徴と言えます。とくに草太が宮崎まで来た理由や目的を考えると、本編の見方が大きく変わります。これらの考察はこれからテーマ毎に掘り起こしていきますので、とりあえず初号の考察記事は、「ガイダンス」程度に捉えてご容赦くださいませ。
今回の考察文にも登場した「後ろ戸」と「常世」に加え、「要石」「ミミズ」など映画本編を理解するのに欠かせないワードを整理して、次回の記事と致します。主なネタ元は公式小説とパンフレット、および映画館で無料配布された小冊子『新海誠本』『新海誠本2』です。そこから意味を拾い集め、それぞれに解釈を足していければと思います。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
映画公開記念特番 OPEN THE DOOR − 新たな旅立ち − 2022年12月1日
『すずめの戸締まり』公式サイト
動画出典:Bee Add − Open Space −
東宝 MOVIE チャンネル
引用出典:新海誠著
「小説 すずめの戸締まり」と
「小説 君の名は。」
画像出典:日本マクドナルド株式会社
新海誠著「すずめといす」
すずめの戸締まり 製作委員会 他
情報出典:映画「すずめの戸締まり」公式
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