LAMU の考察 Blog『すずめの戸締まり』

新海誠監督作『すずめの戸締まり』の関連情報の紹介と、本編の考察を綴る LAMU 最後のブログ

マイ考察 [第3回] “ダイジン" 目線の旅路と “サダイジン" 登場の謎

  🐰ならぬ😺 (笑) ☝

新年明けましておめでとうございます。

いよいよ 2023 (令和5) 年の幕開けですね!

 つい先日3回目の映画鑑賞に行ってきました。特典第3弾のスピンオフ小説『環さんのものがたり』もゲットいたしました。新海誠監督の構想にあった本作の背景が如実に判る要素満載で、読み応え充分の内容になっております。まだ未入手の方はぜひ! 映画館に足を運んで手にしてくださいませ。

 

 さて、先月 12月25日(日) に興行収入が 100億円 を突破したと、公式サイトが発表してますね。現在 (1月22日現在) は 124.5 〜 125億円で推移しているようです。最終的な国内収入が一体どこまで伸びるのか非常に気になるところではありますが、145 〜 150億円辺りが妥当なラインではないかと、私 LAMU は勝手に予想しております。そして劇場公開終了から年月が経過するにつれ、本作内容の価値が改めて見直され日本の映画史に残るような気がいたします。

お知らせ【1月19日】

※ ここからは ♪ サントラ:すずめの戸締まり ♫ を BGM に流しながらお読みください・・・ 💁

   

     

“ダイジン" 目線の旅路 

 鈴芽と叔母の環が暮らす宮崎で、「西の要石」としてミミズの尾を釘づけ、地震を抑制していた大神こと "ダイジン” 。風貌が大臣っぽいと道行く人たちに可愛がれ、愛称が付けられた存在だが、要石としての認識は不十分だったようだ。知性は8歳頃の子どもって想定なのか、声を宛てた山根りんも8歳だそうだ。まぁ、子どもだからもっと遊びたい! と想う気持ちは解るし、むしろ何故、こんなに幼い存在が「要石」という大役を担ってしまったのかが気にかかる。

 鈴芽が後ろ戸をくぐり、現し世と常世の入口を3度行き来している時に、ひょっこり水面から姿を現し佇んでいた要石姿のダイジンは、その姿に気がついた鈴芽に向かって、何やら呟いていた。冒頭12分のみ放送された際のテレビ音声では聴き取りづらかったのだが、映画館のサラウンドスピーカーからはしっかりと不穏な語りかけが確認された。しかし何を言っているかまでは、判然としなかった。そんな奇々怪々な石像に何のためらいもなく手を差し伸べた鈴芽は、この時すでにダイジンに意思を乗っとられていたのかもしれない。後に述べるが、一瞬とはいえ環もサダイジンに憑依されていた。何はともあれ、要石を引っこ抜いてしまうんだよな … 鈴芽は。これでめでたくダイジンは自由の身となり、晴れて「暴れミミズ」のステージが整ってしまうわけだ。まぁ、仕方のない展開だったかもしれない。アメノウズメが天岩戸を開けさせて天照大神を外に出す … これがベースになってるのだから、鈴芽がダイジンを外に出してしまうのは宿命だったとも言える。

 鈴芽の両手に握られた無機質な石杭様のダイジンは、瞬く間に吸熱反応を起こして毛むくじゃらの生き物へと変化し、彼女の手から飛び出してセンタードームに溜まった水面の上を駆け抜けていった。その後の足蹠こそ「さすが! 神様」とばかりに鈴芽の身辺情報をつぶさに掴んで、彼女が住む部屋の窓際に、かつ、その日の鈴芽はかなりイレギュラーな帰宅だったにもかかわらず、ちゃんとタイムリーに出会えているのである。まぁ神様とか精霊等といった霊的な存在からすりゃ、こんなこと大して造作もないことなんだろう。挙げ句にこの日は閉じ師の草太が一緒にいたとあって、ダイジン的にはそりゃ「邪魔者」だったわけだ。鈴芽と2人きりで遊びたかった、つまり鈴芽との関係だけを築きたかったという純朴さで、ためらうことなく草太に「魔術」を発動してしまう。草太はこれを「呪い」と解釈していたが、私はあえて「魔術」と言っておく。

 草太の容姿を、鈴芽の母親の形見なる3本脚の子どもイスに変えたダイジンは、鈴芽と草太の元から逃げ出すわけだが、これは逃避どころか、むしろ確信犯的な誘き寄せ。草太を焦らして自分を追いかけさせ、同時に鈴芽を宮崎の住まいから出立させるのである。それはあたかも両者をおちょくってコケにするように、まんまと海を渡らせるのである。ダイジンからすれば、時代の流行を活用するのもお手の物で、巷の人間に Twitter やテレビ中継で自身の目撃情報を認知させ、具に鈴芽と草太に行き先を知らせているのである。初見で私は、ダイジンの役割を中盤まで見誤っていた。後ろ戸を開いてはミミズを現し世へ招き入れて、人々の暮らしや生命を踏みにじる災厄のトリガーと決めつけていたのだが、東京上空でのミミズ事変以降、クライマックスが近づくにつれて、ダイジンの純粋無垢な感情表出や、気遣いからの隠れた行動に触れて 180度認識を変えるに至った。なんやぁ、ダイジンってホンマはめちゃエエやつやん ~!てな感じである (二ノ宮ルミ風に)。

 愛媛では巡視艇や港場、駅中、電車の車内で姿を現し、目くるめく人々の関心を集めて、鈴芽や草太に、自身の居場所を伝える情報源がスマホであることを印象づけている。また四国から神戸に移動する際には、SNS 上での注目度を個人サイズの範疇からマスメディアが取り上げるほどの社会的な話題へと拡張することに成功している。しかもダイジンは、ミミズによる地震が愛媛の廃校で食い止められた直後に、鈴芽と草太の元に姿を見せ「まだまだこの先も試練は続くよ」と言わんばかりにわざわざ傍らまで来ているのである。「挑発」と捉えられ兼ねない言い草に、毎度誤解を被るダイジンだが、実はミミズを封じる手助けをしていたというパラドックスに、すっかり一本を取られた LAMU である。その日の夜のうちに、ダイジンは愛媛から徳島を経由して淡路島まで移動している。想像するに中長距離の運送業者トラックの荷台なり運転席等に愛想を振りまいて乗り込んで、長距離移動を難なく果たしたのだろう。あるいは自身の姿を見えなくしたり、無機物として認識させる魔術を発動し、特急列車にしれっと乗車し高速で移動していたりするかもしれない。何はともあれダイジンからすれば、思いのままに移動するなんてことは「お茶の子さいさい」なんだろう。この時ばかりは悲願がようやく叶って、思い存分自由を謳歌していたと思われる。

 さて神戸では、鈴芽とイスの草太を愛媛から乗せてきた二ノ宮ルミが経営するスナック『はぁばぁ』にて、「大尽」と名乗る客の横にダイジンが姿を表す。ルミの横でマイク片手に熱唱している真面目そうなメガネの男性こそ、バイトの女子大生クミが鈴芽に指摘した人:大尽さんで、ミミズが見える鈴芽の目には、その傍らでちょこんと鎮座するネコのダイジンが目に入った。この時、クミやルミには猫のダイジンが見えなかったようだ。かなりリラックスしている様子で、ネコ本来の仕草で股ぐらを舐めていたのだが (笑)。人間の視覚や認知機能を変幻自在に操れるダイジンこそ、まさに魔法使いってわけですよ、海部千果さん! この神戸でダイジンは、3つの重要なメッセージを残している。1つ目は今述べた魔法使い的な能力をダイジンが有しているということ。2つ目は「都市部で表れるミミズが地上に倒れたら『人がたくさん死ぬ』という予言」を、この後に起こる東京異変の伏線として、はっきり鈴芽に伝えている点である。そして3つ目は、イスの姿の草太に対して「要石の役目はもう草太に移している」と明確に告知している点だ。

 最終的に本作におけるダイジンの役割は何だったのだろうか。ダイジンは鈴芽を導き、ミミズを封じる手助けをしていたが、役割はそれだけではないと私は思う。仮に本作を「鈴芽と環の物語」として捉えてみるとダイジンの隠された役割が見えてくる。 結論から言うと、ダイジンは幼い鈴芽とシンクロするキャラクターだった。 ダイジンと鈴芽の関係は、鈴芽が発した「うちの子になる?」の一言から始まった。この言葉は、環が鈴芽を引き取ることに決めた際のセリフとリンクする。その後、ダイジンは鈴芽から草太を奪うが、幼い鈴芽も環から婚期や自由を奪ってしまった。 極めつけは、本編中盤の互いを拒絶するシーンだ。鈴芽は東京:千代田区の皇居地下にて、草太を要石に変えたダイジンを強い言葉で拒絶する。一方、環はサービスエリアで、鈴芽に対する本心を吐露。(この後に触れる) サダイジンの影響があったとはいえ、鈴芽を拒絶してしまう結果となった。 ダイジンと幼い鈴芽の共通点は、どこまでも無邪気で、そこに悪意がない点である。一見悪役にすら見えるダイジンだが、行動原理は「鈴芽に対する好意」だけだった。ダイジンは、邪魔者 (草太) を排除することで、鈴芽とふたりきりになろうとした。 幼い鈴芽も無意識に、そして無邪気に環から大切なものを奪っていたのかもしれない。しかし忘れてはならないのは、「うちの子になる?」と発したのは環だったし、鈴芽だった。 このように、鈴芽は物語の中で環の半生を追体験している。表面上はイスになった草太と鈴芽のロードムービーだが、その裏では、ずっと環と鈴芽の関係性が描かれている。「ダイジン = 幼い鈴芽」と考えれば、理不尽に思えたダイジンの行動が理解できる。子どもという存在は、時に残酷で、時に理不尽なものだと言えよう。

“サダイジン" 登場の謎

 私 LAMU は現時点で3回本作を鑑賞した。「東の要石」である " サダイジン “ が、なぜ? どうやって? 抜けたのかが未だに謎だ。パラパラと幾つかの解説動画なり考察ブログに耳目を傾けてみたが、コレといったヒントを見い出せなかった。そのため、ここから述べることは LAMU の憶測であり、一つの解釈に過ぎないことをあらかじめ断っておく。

 はじめに、この黒猫ならぬ左大神ことサダイジンが登場した場所は、草太の祖父:宗像羊朗が入院している順天堂病院の病室の窓際だった。鈴芽が羊朗のもとを訪ね、常世に行ける生涯唯一の後ろ戸があることを彼から聞き、病室を後にした直後のシーンで、サダイジンは現れる。羊朗が「お久しゅうございますな。とうとう抜けてしまわれましたか..... あの娘について行かれますかな? どうかあとは、宜しゅうお頼み申す」と彼に話しかけており、このやり取りのシーンは公式小説に記載がないため、現在のところ映画館でしか見ることができない。この羊朗のセリフに関して、私なりの解釈を加えていく。まず判ることは、両者はかつて出会っているということ。おそらく常世で会ったと思うのだが、羊朗が要石としてサダイジンをミミズに刺したのか、あるいは閉じ師の集団の一員としてその業務に加担したのかは明確でない。ただ言えるのは、あの黒猫がつい先日まで東京の要石として役割を果たしていたと羊朗は知っており、まさに前日の夕刻、23区を震源とする地震の後にミミズの本体が上空でトグロを巻き、首都直下型地震の危機が迫っていたのを全身全霊で回避させようとしていたのだ。きっと病室、いや病院を抜け出し、途中で力尽きて路上で倒れたりしたのだろう。草太の友人:芹澤が草太の部屋を訪れ、ミミズに気がついた鈴芽とイスの草太が飛び出していくシーンで、微かに救急車のサイレンが鳴っていたのだが、それが羊朗の救急搬送だったと考えると、なかなか緻密な伏線描写で感服させられる。これは、羊朗のベッドが安全柵で四方を囲まれ半ば拘束されていたことと、担当医と看護師の会話「今日は落ち着いていて良かったですね」「昨日 (の羊朗さんの脱走や抵抗、盲言) はひどかった」のやり取りから一連の事態を窺える。

 では本題に行こう。要石だったサダイジンは、なぜ抜けたのだろうか? またどうやって抜けたのか? 何か外力が加わって抜けたのか、ひとりでに抜けたのか、あるいは自らの意志で抜け出たのかは、どうも本編を観ただけでは区別がつかない。そもそも、東京の後ろ戸となった皇居地下の城門は、どうして開いてしまったのか? このシーンは非常に謎が多い。全国の劇場で本作の公開が始まり、新海監督が全国行脚して舞台で挨拶されているが、その道中で開催されるティーチインの質疑応答でどなたかヒントを聴いた方がいらっしゃるなら、ぜひ教えていただきたい。とりあえずここから、私なりの見解でこの現象を解説してみる。

 西の要石:ダイジンが抜けている影響で、ミミズの尾は固定から解かれている。そのため、宮崎、愛媛、神戸、東京 ... と、各地の後ろ戸が開きやすくなっていた。ミミズは常世から現し世へと容易に出現できることから、各地で地震が起きやすくなってしまった。そこへまず首都直下型地震の前震が起こって、皇居の地下にある大きな城門が開いた。他地域の後ろ戸は、愛媛の廃校や神戸の廃遊園地のように、始めに人が体感できるか否か程度の微震があって、それが後ろ戸が開くトリガーとなっていた。千果がバイクでみかんを運んでいた際、知らぬ間にできていたアスファルトの地割れや、ルミのスナックで働くミキが気がついたグラスの中の氷の揺れなどは、後ろ戸が開く瞬間の前震を示唆しているのだろう。そこから猛然とミミズが溢れ出てきて、狼煙のように姿を現すと、ようやく鈴芽や草太たち閉じ師は後ろ戸の位置を視認できるようだ。東京:神田川の場合、そこ自体は廃墟ではないものの、前震の揺れで東の要石が抜け落ちてしまうほど、他のどの地域よりもミミズのエネルギーが強力だったと推察される。その勢いは、地下の城門が全開になっていたほどだった (余談だが、映像を見る限り、あの重そうな城門の扉を、女子高生一人の力でいとも簡単に締められるものか? と私はずっと気になっている。小説 (p.238) には微細な描写があり、納得がいくのだが)。 つまり要石一つでミミズの頭を固定していても、杭の土台どころか地盤そのものを破壊しうるエネルギー体の前では、何の役にも立たないということだろうか。芹澤の運転で、鈴芽と環が東北を縦断している際にも、小さな地震が立て続けに起こっていた。要石に成り立ての草太独りでは、今は多少踏ん張れても、今後あらゆる地震や災厄を抑えるなんてことは到底無理ってことでもあるのか。やはり、東西の柱 = 2つの要石のパワーバランスが整って初めて、ミミズ封じの効果は生まれるというセオリーなんだろう。草太の部屋のシーンで説明があった「ミミズと閉じ師の歴史」から読み解いてみた。

 加えて、同じく要石だったダイジンが、いとも簡単に鈴芽の手によって抜けた原因、すなわちミミズ封じの役目を放棄した背景にも、ここで触れておきたい。本ページの前譚冒頭で、ダイジンは要石としての認識が不十分だったと述べた通り、役目や宿命に対する覚悟に欠如があったからこそ、この度のミミズ封じの状況は、初めから不安定な状態だったと考えられる。新海監督が描く昨今の災害3部作の底流には『陰陽太極図』の思想が色濃く、陰と陽が互いを補完し合ったり、互いに変換し合えることで、万象の秩序が成り立つという定理が物語のベースになっている。それは本作のタイトルコールの画面にも表れており、冒頭12分の節目に出た画面は背景が黒、「すずめの戸締まり」の字色は白だった。対してクライマックスのラストに出た画面は、👇 にある通り、背景が白で字体は黒となっている。

 公開後からアップされている幾多の解説動画なり考察ブログを拝見していると「要石には有効期限がある」という解釈があったり、なかには「要石はもともと人であって、閉じ師の成れの果て」と解説するものがあった。確かに、天野陽菜を「天気の巫女、すなわち人柱」として描く新海監督なので、宗像草太を「地震を抑える要石、すなわち人柱」と捉えるのは自然だし、実際そうなんだろう。ただし私はそれらの解釈に加え、次のように理解している。それは「役目や宿命に対する覚悟の差こそ、有効期限の長さの差」であること。もはやこれに尽きるんじゃないかと。だから、東北のサービスエリアで環の背後に現れた巨大なサダイジンは、まず同業であるはずのチビ猫ダイジンと取っ組み合い、要石の役割を放棄した彼を諌めたんだと思う。また、片方を陽、もう片方を陰で表すなら、SNS やメディアで自身の存在を PR してきたダイジンは陽キャで、首都東京の地下で安全を支えてきた「縁の下の力持ち」のサダイジンが陰キャといったところだろうか。両者は、常世では体毛の色が互いに反転しており、恐らく性質まで反転しているのだろう。果敢にミミズに挑むのは、身体を白く変え巨大化したサダイジンであり、絶え間なく鈴芽の守護にあたっていたのが、黒く変化した小さなダイジンであった。

 また、陰の力を増幅するサダイジンに対して、陽の感情で生命力を増幅させるダイジンの比較を紹介していた解説者があり、同じく私 LAMU もそう思う。叔母の環が、姪の鈴芽に対して抱き続けていた負の感情は、(今回本編では使用されなかった) 野田洋次郎さんの楽曲♪ Tamaki の歌詞にあるように、相手の心を突き刺すナイフのような要素を含んでいた。言うなれば、鈴芽の心を抉って存在を殺めるほどの破壊力を有していた。それを現に本人の前で発言してしまう衝動力こそ、サダイジンのパワーだった。幸いにも鈴芽の傍らには対極的な存在のダイジンがいた。巨大妖怪のようなサダイジンを威嚇し、飛びかかったダイジンは、「うちの子になる?」と手を差し伸べられた同胞として、大好きな鈴芽の心も守ろうとしてきた。この辺りの環と鈴芽の心情の考察は、後日別の機会でスポットを当ててみたい。

 最終的にダイジンは、鈴芽を常世へ導く役割を果たした。そして鈴芽は、常世の丘上で凍てつくイスの要石:草太の魂に向かって叫び、必死に彼を引き抜こうとする。「(草太が現し世に戻れるなら、その代わりに) 私が要石になる!」と言う彼女の真意を知ったダイジンは、鈴芽の覚悟が揺るがないのを感じ取って「すずめのてで … (ぼくを) もとにもどして」と申し出た。「だいじんはね … すずめの子には … なれなかった」の言葉で私は泣いてしまった。このメッセージは環と鈴芽の関係にも投影できる。この二人は家族の関係だが、鈴芽は環の実娘には当然なれない。いや、むしろ過去の幼い自分(4歳の鈴芽) と出会って自身の境遇を受容できた今だからこそ、将来の自分にも希望の言葉を投げかけ、疑似的な母子関係を締めくくることができるのだろう。こうして鈴芽と環は、本当の意味で互いに自律していく。ダイジンも要石に戻る覚悟を固め、自ら元の鞘に収まってくれた。そして草太も無事に死の淵から生還し、鈴芽の元へ戻って来ることができた。めでたしめでたし。

 

 今回の考察記事はいかがでしたでしょうか? 初見では理解し難いテーマだったかと思います。どうか、他の方が述べられている解説にも目を向けていただき、皆さまなりに本作を深掘りしてお楽しみくださいませ。さて現在、当方が公私ともに多忙のため、次回から短編記事をアップしていこうと考えております。どうぞご了承ください。ではまた!

 

『すずめの戸締まり』公式サイト

   

情報出典:すずめの戸締まり 公式、映画 .com

動画出典:日本のキリン ch、東宝 MOVIE チャンネル

画像出典:すずめの戸締まり 製作委員会

 

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