LAMU の考察 Blog『すずめの戸締まり』

新海誠監督作『すずめの戸締まり』の関連情報の紹介と、本編の考察を綴る LAMU 最後のブログ

ミニ考察④⑤ 宮崎言葉に染まらず、標準語を話す鈴芽 他

 

 3月11日14時46分。12年前の今日、日本にいた全ての人が、怯え嗚咽し、自分の身の安全・愛する家族の安否・祖国日本の行く末を危惧しました。あの東日本大震災が遺した悼み・祈りの心で、今なお不自由な暮らしをしてみえる被災者、遺族の方々に、慰めと励ましが最適なカタチで届きますように。

※ ここからは ♪ サントラ:すずめの戸締まり ♫ を BGM に流しながらお読みください・・・ 💁

   

ちょこっと気になる一コマ ④    宮崎言葉に染まらず、標準語を話す鈴芽

 この 👆 シーンは、初見から違和感を覚えておりました。叔母の環が話す宮崎弁の訛りが強いのに対して、鈴芽が話す言葉は全くと言って良いほど訛っておらず、ほぼ標準語でした。草太と坂道で初対面した後、列車の通過待ちをしていた踏切で、友達の絢から赤面を指摘された鈴芽が「(え!今、私の顔) 赤い?」と返事した時のみ、少しだけ訛りっぽさを感じましたが、それ以外は宮崎放送のお姉さんキャスターのような、きれいな標準語を話す鈴芽でしたよね。一体それはなぜなのか …。はじめは、大震災で母を失ったトラウマで極度な自閉状態に陥り、その結果、地元言葉に染まることなく、12年の歳月が経過したかと思っていました。

 しかしスピンオフ小説『環さんのものがたり』では、以下のように回顧録が記されています。

「誰にでもにこにこと笑いかける鈴芽がどこかおかしいと気づいたのは、九州に連れてきて数週間も経ってからだった。

 外から家に帰ってきても、『ただいま』を決して言わないのだ。

 私が家に帰っても、決して『おかえり』と言ってくれないのだ。

 その理由は分かる。もちろん分かる。そんなに簡単に私たちが家族になってしまったら、お姉ちゃんだってきっと悲しむだろう。いずれ時間が解決してくれることだと思う。でも、笑顔とは裏腹の彼女のその頑なさが、私にはやはりとても辛かった。」(p.8,9)

 鈴芽にとって母を亡くした影響は無論大きいのだけれども、五歳の誕生日を迎える約二ヶ月前から、突然叔母の環との二人きり生活が始まり、そこからの12年間、彼女との心の距離を図る決意の表れとして、鈴芽は地元言葉を使わなかったのかと推察するに至りました。「環さんは私の保護者になってくれた人だけど、当たり前なんだけど、私のお母さんではない。だって、私のお母さんは岩戸椿芽。お母さんは、よく夢に現れて、私の名前を呼んでくれて、いつもそばにいてくれるんだから。環さんは私の唯一の肉親だけど、叔母さんでしかない。だから、宮崎は私の故郷じゃないし、ここは私の家じゃない!」とでも言わんばかりに …。

 きっと心の奥底ではそう思い続け、鈴芽は幼少期から思春期まで過ごしてきたのでしょう。そしてあの三脚の子ども椅子は、母が遺した唯一の形見であるからこそ、鈴芽は決して捨てることなく「すずめの友」「すずめの分身」として常に自分の部屋で大事に扱ってきたんだと思います。ダイジンによって、その唯一無二の子ども椅子に草太の人格が入ったとあれば、そりゃ鈴芽にとって、彼は急速に特別な存在になっていくわけですよ。

 余談になりますが、『環さんのものがたり』によると、鈴芽の家出について、環は「あの椅子が鈴芽を連れていったのではないか」(p.13) と想像したとあり、「あの日、家ごと流されてしまったはずのあの椅子を、鈴芽はどこで見つけたのだろう」(p.9) と、かねてより不思議に思っていたそうです。さらに「脚の一本欠けたあの黄色い椅子は、もしかしたら本当に、どこか別の場所に繋がっていたのかもしれない。あの世だとか異空間だとか、そういうわけの分からないうさんくさいような場所を経由して、鈴芽の手元に戻ったのかもしれない」(p.21) と想像してみたうえに、東京は御茶ノ水にいる鈴芽を迎えに行く新幹線の車内で「あの椅子に鈴芽は奪わせない」(p.8)、「出来ればすこし眠って、決戦に備えるのだ」(p.13)「…… 負けんかいね、私だって」(p.22) と、徐々にボルテージを上げている様子が描かれていました。

ちょこっと気になる一コマ ⑤    草太の傷の手当てが熟れていた鈴芽の心得 

 岩戸椿芽が東日本大震災による津波災害で行方不明になったのは、鈴芽が四歳の時でした。母親が看護師として病院で勤務していたと鈴芽が知っていたのは、常世に迷い込んだ幼き鈴芽のセリフから判りますよね。ただし、傷の消毒や包帯巻きなど、高校生の鈴芽が草太に施した手当ての手際は、四歳当時の彼女では行えなかったはずです。例えば、鈴芽が転んで擦り剝いた傷を手際良く応急処置してくれた母親に対する記憶は、それなりの頻度であったとはいえ、手順までつぶさに覚えていたなんてことはおそらくないでしょう。すなわち、母親の椿芽を色濃く思い出すきっかけとして、看護師への憧れが潜在的にあり、ナーシングケアの実技については、普段から独自で練習していたのではないかと推察されます。思えば、鈴芽の部屋に『看護師になるには』という手引書が置いてありましたね。

 

 

引用出典:スピンオフ小説「環さんのものがたり」

画像出典:すずめの戸締まり 製作委員会

動画出典:Bee Add − Open Space −

 

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